「司令官は、孟宗竹を瞬時に3つにする居合の秘技が、あまりに素晴らしかったので、一騎当千の部下を持たせたということですか」と町会長。

「父は、孟宗竹を瞬時に3つにする居合の秘技を披露した後、司令官に、『近くに、関東軍を襲撃しようとしている馬賊がいるので、襲撃される前に掃討すべきである』という進言をしたのだと推定しています。」

「なるほど。その頃になると、お父さんは中国人の密偵を雇って、満州で高名な武人が率いる馬賊の調査を始めていたということですか」と町会長。

「おっしゃる通りです。」

「しかし、事情を知らない司令官は、新兵が、なぜ、そんな情報を知っているのか疑問に思ったでしょうね」と町会長。

「おっしゃる通りです。父から聞いてはいませんが、司令官は、『なぜ、そんなことが分かるのだ』と聞いたはずです。」

「それで、お父さんは何と答えたと推定しているのですか」と町会長。

「父は、『中国人の密偵を使い、日本軍に敵対する馬賊の動向を探っている』と答えたのだと推定しています。」

「司令官は、『なぜ、新兵が馬賊の動向を探ろうとするのだろう』と思ったでしょうね」と町会長。

「おっしゃる通りです。司令官は、『なぜ、馬賊の動向を探っているのだ』と聞いたと推定しています。」

「なるほど。そのとき、『馬賊を率いる高名な清国の武人と、一対一で立ち会いたいのです』と言ったのですね」と町会長。

「おっしゃる通りです。」

「しかし、なぜ、一騎当千の部下を持つことができたのですか」と町会長。

「その話を聞いた司令官が、父が言ったところに軍隊を差し向けると、確かに、馬賊の一団がいたのだと思います。」

「なるほど。お父さんの話に間違いはなかったということですか」と町会長。

「おっしゃる通りです。」

「しかし、なぜ、一騎当千の部下を持たせたのですか」と町会長。

「司令官は、中国人の密偵を使えば、馬賊に襲撃される前に馬賊を襲撃することによって、被害を少なくすることができることに気がついたのだと思います。」

「なるほど。それで、司令官は、関東軍として馬賊の動向を調査する役をお父さんにさせることにしたということですか」と町会長。

「しかし、新兵に一騎当千の部下を持たせるのは、上官の命令に服従しなければならない軍隊としては、問題があるのではないですか」と町会長。

「おっしゃる通りです。父は、そのとき伍長に進級しています。」

2021/6/8

<筆者の一言>
筆者の研究では、筆者の脳に問題を起こしているのは、手の指から肘、肩、首を通って脳に達する巨大な臂臑(ヒジュ)の硬結だ。現代東洋医学では、臂臑は上腕にある大腸経のツボだが、筆者の研究では大腸系の臂臑の硬結と肺経の臂臑の硬結があり、一体化しているので両方を治療しなければならない。

深谷伊三郎は臂臑の重要性に気がついた偉大な治療家だ。『深谷灸法』の『臂臑』の項目に、深谷伊三郎が、なぜ、長生きをしたか推定できる記載がある。『※昭和四十七年十月の早朝七時頃、私はまだ床の中にあったとき、深谷先生の奥さんから電話を受けた。「先生が声が出なくなったので、お灸をしてくれ」とのことである。その頃先生は某マグレイン会社の依頼で北海道での講演旅行を二日後にひかえていた・・・私は先生の指示通りに施灸をはじめた。ためらうことなく。「臂臑穴」であった・・・二〇壮をこえるころ、先生の咳払いが楽になってくると声も幾分聞き取れてきた。三〇壮を過ぎると「もういいでしょう」と先生に言われて施灸を中止した』との記載がある。

筆者は、臂臑の治療を頻繁にしているが他人に頼むような場所ではない。上腕の内側よりなので自分でできる。深谷伊三郎は、なぜ、自分で治療しなかったのか。自己治療で早死するのを恐れていたとしか考えられない。深谷伊三郎の治療法は江戸時代に書かれた有名な治療法を弟子とともに治療実験実験して効果測定をすることによって確立されたようだ。これも、自己治療を避ける方法の1つだったのだろう。

ウィキペディアの『深谷伊三郎』に、『肺結核にて5年間病床に臥し、灸治療により劇的な回復を遂げる』という記載がある。深谷伊三郎の肺結核を治療した鍼灸師が早死したのだろう。そして、『なぜ、天才的な鍼灸師が早死しなければならないのだ』と考え続けたのに違いない。そして、天才的な鍼灸師は自己治療によっての治療技術を習得し、自己治療によって早死することに気がついたのだろう。<終わり>

2024/5/24